「美濃和紙を元にB判」の謎解明!やっぱりそうだったのか!
今日は11月22日で、いい夫婦の日なので、夫婦にちな・・・ちなまないよ~っ!←なんやねんコイツ!?
さて、11月3日の下の記事で、白銀比を取り上げました。まだ読んでいない方はぜひこちらからどうぞ!
関連記事:白銀比って、何!?←いつもお世話になる便利な紙のサイズ、A列とB列です(^o^)/
そしてその記事の中で、「B列の紙は江戸時代の公用紙の美濃紙をもとに定めた美濃判に由来するとのことらしい」ということを紹介したあと、下記のように疑問に思ったことを書きました。
「・・・多分、厳密には1.5㎡じゃなかったけど、それに近い大きな紙を江戸時代に使ってたのかな?それともB列の由来になった美濃判はB4とかB3が基準だったけど、A列のA0に足並みを揃えて、倍に倍にしていくとだいたい1.5㎡になるね、じゃあ、そうしよっか!となったのかな?誰か知っているかた、当ブログ左下のメールフォームから教えてください。。。」
それから1週間ほどして11日にBS朝日で放映された番組「アーツ&クラフツ商会」第二回で、まさにデザオの質問に答えてくれるかのような情報があったのです!そこで、この番組の画像をお借りしながら、解答編としてご紹介!
この番組の第2回はタイトルが「美濃和紙」となっていたので、もしやと思って録画していたのが幸いでした。とても詳しい美濃和紙の解説があり、その冒頭で、「コピー用紙のB判は美濃和紙をもとにしているのです」とその経緯の紹介がはじまりました。
美濃和紙は古来より優れた和紙として使われており、江戸幕府の公用紙としても使われました。紙の大きさは身分に応じて規定されており、江戸幕府と御三家(尾張、紀伊、水戸)のみが使用できるサイズは美濃判と呼ばれる、9寸×1尺3寸(273×394mm)です。
ここでひとつはっきりしました。前回の記事で予想したように、美濃判のサイズはこのB4に近いサイズで、B0ではないということです。並べてみましょう。
美濃判=273×394mm
B4=257×364mm
となります。両方の縦横比率の差を確認するために、B4の短辺257mmが美濃判と同じ273mmになるまで拡大してみると、長辺は約387mmとなります。7mmという誤差がありますが、美濃判はほぼ白銀比と言っていいですね。
それを明治になると、それまで使ってはいけなかった憧れの美濃判は、官庁から庶民までに利用されるようになります。しかし、当時はまだ様々な紙の規格があり混乱した状況が続いていました。
そこで、昭和に入ってから、ドイツの規格であったA判が導入されました。しかし、すでに日本中に浸透していた美濃判も考慮してB判を作って、A判B判で規定したのが昭和6年です。
つまり、美濃判をB判と呼ぶことにして、A判と同じような基準で倍々にしていくとA0よりはひとまわり大きいB0ができることになります。
しかし、B0が中途半端な数字では却って混乱すると思ったのでしょう。A0の面積が1㎡であることにならって、B0の面積が切りの良い1.5㎡であるところから半分、また半分とカットすることになったのでしょう。
しかし、もしそれでB列の中に美濃判に近いサイズになるものがなかったら意味がないのですが、幸いB4が美濃判に近いサイズになるので、これでちょうど良いだろうと判断したものと思います。そして、ドイツのA判と日本のB判として導入。現在まで引き続き使われるようになったのです。
それが現在のB列のサイズの誕生秘話です。ああ、少しすっきりしました。TV番組「アーツ&クラフツ商会」さん、スポンサーの積水ハウスさん、ありがとうございます!
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