ほしのあきと関係ないなら、そのキャッチコピーはやめてほしいの。新印象派 in あべのハルカス美術館
前々から気になっていた、あべのハルカスで開催中の美術展「新印象派」を観てきました。
気になっていた理由は2つ。
1:印象派後期の画家たちがどのように画風を変化させて行くのか
2:なぜ、ほしのあきを彷彿とさせるキャッチコピーを使っているのか
冒頭の画像を見てください。これはポスターではなく電飾看板ですが、横幅があるためか、ほかのポスターでは見られない3つのほしのあきが堪能できます。
「みつめてほしいの。」「かんじてほしいの。」「かがやきたいの。」
ですねー。でもよ~く見ると、それぞれのキャッチコピーの右上に小さい文字が・・・。どうやらキャッチコピーの前の句のようです。
「もっと近くで みつめてほしいの。」「もっと光を かんじてほしいの。」「もっと自由に かがやきたいの。」
となります。それぞれにタッチの違う作品が並列でレイアウトされていることからしても、それぞれの作家(もしくは画風の変遷)がこのキャッチコピーに関係しているのかもしれません。
この3つのキャッチコピーが実際の展示と連動しているのか確認するには、行かなくてはわかりません!というわけで、展覧会へGO!
さて左の画像がB2ポスター縦位置です。駅のホームにあったものです。右の画像があべのハルカスの入口です。展覧会の顔とも言えるポスター掲載の作品には「みつめてほしいの。」のコピーが使われていますが、展覧会入口は、電飾看板の真ん中の作品が使われていて「かんじてほしいの。」が使われています。
やはり、作品とコピーがセットで使い分けられているようですねー。うーむ、シャーロック・ホームズの気分です・・・。
ところで・・・。印象派は日本でも大人気で、毎年のように大規模な印象派の展覧会が開かれていますよね。モネやルノワールは作品を見れば誰しも見覚えのある有名な作品が多いです!(これね~)
左:モネ/散歩・日傘をさす女 右:ルノワール/二人の姉妹 画像出典:西洋絵画美術館さま www.gallery-aoki.com
でも今回は「新印象派」ということで、モネ・ルノワールらに影響を受けた若い世代の画家たちが試みた、より科学的な絵画表現の路線です。作家名で言うと、スーラやシニャックなどです。残念ながら、スーラの代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は今回出品されていませんが・・・。(これ↓)
スーラ/グランド・ジャット島の日曜日の午後 画像出典:Wikipedia
この新印象派の画家たちは、視覚混合の原理にもとづいて、見た人の網膜上で色彩が混ざるように考えて、点描画のように色彩を細かく置いていき、一定の離れたところから見ると狙った色に見えるという、ある意味、オフセット印刷のCMYKのアミ点でのカラー写真の再現原理を、アナログでやろうとした試みと言ってよいと思います。
関連記事:印刷と色の基礎知識いろいろ まずは基本のCMYK!
そのため、展示品の中には、色彩研究としてルイ・アイエが実験的に制作した、色見本があります。これが面白い!
ルイ・アイエ 視覚混合のための色彩図解 見開き図の左頁 画像出典:展覧会図録P46より
紙片に2色の縞模様を描き、じょじょに縞の間隔を変えて、遠くからみたときどのような色に見えるかという実験サンプルや、ほかにも色彩球の断面図なる色表現の実験サンプルなどが展示されていて、確かに科学的アプローチで忍耐強く色再現を試みていたんだなとわかりました。
この新印象派が取り組んだアプローチは、光の効果を高めることができるため、ピサロほか多くの画家に影響を与えたらしいのですが、それも以前の記事(こちら)で解説した「色を混ぜれば混ぜるほど暗くなる」という減法混色の理屈から考えて、納得できる考えですね!色を混ぜずして様々な色を見せてやろうという野心的な試みです。
きっとこの展覧会のキャッチコピーのうち、「もっと光を かんじてほしいの。」「もっと自由に かがやきたいの。」の2つは、このあたりのことを表現したかったんだろうと推察します。
「もっと自由に かがやきたいの。」の方は、この忍耐強さの要求される科学的色再現による描画が敬遠され、従来の印象派のように自由な表現へ回帰する方向へ向かったり、色の鮮やかさを拡大していくフォーヴィスムへ向かったりしていった、時代の流れを言いたいのでしょう。
しかし残念ながら、「もっと近くで みつめてほしいの。」につながりそうな根拠は、デザオの眼力では見つけられませんでした。
新印象派の作品は、ある程度、離れたところから見るように計算されて描かれています。それがゆえに、ルノワールのような、食い入るように間近で作品を見たい人物から批判されたというではないですか。すると、極端に言えば、むしろ逆で、「もっと遠くで みつめてほしいの。」でもいいくらいのはずなんですけどね・・・。
でも結局わからない、ほしのあきの根拠?
キャッチコピー3本が、新印象派の何らかの特徴を捉えて、コピー化したものだと仮定してみましょう!
それが何を意味するかは正直わかりにくいですが、たとえ伝わらなくても、実際に光にあふれる印象の作品とセットになることで、そのような思いで描かれた作品なのかな?それが新印象派の特徴なのかな?と鋭い人なら感じてくれるかもしれません。
それより、結局最後までわからないのは、「・・・ほしいの。」という、ほしのあき的な言い方です(^_^;)
専門学校で少しではありますがコピーライティングの話をするときに、キャッチコピーの方法として「口語・話し言葉」を使ったものがあるということを言いますが、まさにこれは口語をコピー化したものです。
だとしたら誰の視点の言葉なんでしょうか?画家たちの思いとして捉えても、これらの画家は男性です←そういうことじゃないかもしれないけど(笑)
あえて強引に解釈すると、作品を擬人化しての作品たちの言葉でしょうか!?だとすれば先程の「もっと近くで みつめてほしいの。」もわからなくはないですけど・・・。
まとめ
キャッチコピーにひと言。。。
「・・・ほしいの。」がどうも遊び過ぎな気がします。こんな遊びごころは、新印象派の科学的なアプローチをした画家たちや作品には似合いません。せめて、「みつめてほしい。」「かんじてほしい。」「かがやきたい。」ではないのかなと思います。それでも3つにわけるほど時代区分があるわけでもないし、過剰なコピー分割ではないでしょうか。
展覧会の感想。。。
あくまでデザオの個人的意見ですが、展覧会を見ていて、後半面白くなくなりました。色彩の点描によって描かれた作品は精緻そのもので、その作画努力、忍耐強さには感服しますが、印象派の作品を見るような楽しさがありません。
まるで写真の加工方法を変えただけの作品の羅列に見えて、感動があまりありませんでした。本当に印刷サンプルを見ているような気がしてきたのです。モネやルノワールが批判したという新印象派の科学的アプローチの問題点が、知らず知らずのうちに共感できる内容でした・・・。
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