マッド・マックスと北斗の拳に見る、パクリの境目!模倣の程度問題について考える!
前回(こちら)、前々回(こちら)の記事で、ほかの作品の影響を受けた作品であることの「言い訳」をカッコよく言う言葉について書いてきました。←え?そうだったっけ?(^_^;)
結論的には、グラフィックデザイナーは芸術家とは違って、受注してやってる仕事なんだから、クライアントに迷惑のかかる表現アイデアはダメよ~、パロディだろうと、リスペクトやオマージュやインスパイアだろうと、事前に公言していようと、とにかく模倣だとわかる程度に真似しちゃだめなのよ~!ということなのです。
でも、参考にしたり、アレンジしたり、ミックスしたりは流行を作っていく潮流のようなもので、真似にならなければ程度問題でOKよ~とも言いました。完全なオリジナルは極めて難しいですからねー。
でも、デザインの仕事を離れて、あくまで一般論として、「模倣は程度問題」というなら、どの程度までいいのでしょう?まず「作品の主要な構成要素をすべて模倣したら盗作だ」ということは間違いなく言えるでしょう。映画や音楽で言えば、リメイクやカバーじゃないの?と思うくらい同じならです。
しかし、ぎりぎりセーフになるのはどういう模倣かというと、
① 主要な構成要素のうち、ひとつかふたつまでしか同じにしない。
② 違う作品としての「存在理由・意義」がある。
ではないでしょうか。でもあくまで、これでもギリギリなんですけどねー(^_^;)
この手の話を質問されたり、調べたりするときに、いつもデザオの頭をよぎるのは、映画「マッド・マックス」シリーズと漫画「北斗の拳」です。この2つの物語はある構成要素がとても似てましてねー!よく語られることでして、ある種、この時代の周知の事実です。(笑)
今日は、グラフィックデザインの話をちょっと離れて、この敬愛すべきこの2つの作品を比較して楽しみた~い!
俳優メル・ギブソンの出世作としても有名な作品ですが、一応若い読者の方が多いので、もっとも北斗の拳に影響を与えたと思われる2作目のマッド・マックス2を簡単に説明しますと、
前作の直後に二大国間で勃発した世界大戦により文明は崩壊した。戦争に伴う中東地域の油田破壊によって枯渇した石油を巡り、凶悪な暴走族が日夜争奪戦を繰り広げている。主人公マックスは、改造を施した愛車V8ブラック・インターセプターに乗り、相棒である犬と共に、暴走族を倒しては石油を奪い、荒野をあてもなく旅していた。放浪の中で出会ったジャイロ・キャプテンと名乗る男を連れたマックスは、付近を縄張りとする暴走族にたびたび襲撃されている石油精製所を発見する。精製所のリーダーであるパッパガーロは、ガソリンと引き換えに、石油を運び出すためのトレーラー探しをマックスに依頼。首尾良くこれに成功し製油所を後にするマックスだが、途中で暴走族に襲われ、重傷を負った上にインターセプターと犬を失う。駆けつけたジャイロ・キャプテンに救出され精製所で手当てを受けたマックスは、彼らが目指す「太陽の楽園」への脱出行の手助けを決意。暴走族との激しいチェイスが始まった。(Wikipedia)
という映画なんです。←自分で説明せーへんのかい!!(^_^;)
漫画「北斗の拳」 1983年連載開始
週刊少年ジャンプに掲載された、原作:武論尊、作画:原哲夫によるアクション漫画で、こちらも有名な作品です。これも一応説明しますと、
西暦199X年、地球は核の炎に包まれた。だが、人類は死に絶えてはいなかった。暴力がすべてを支配する世界となった核戦争後の大地で、途中で出会ったリンやバットを連れ、北斗神拳伝承者・ケンシロウが暴徒を相手に拳を振るう。北斗神拳を共に修行した兄達、それぞれの宿星を持つ南斗聖拳の伝承者達が現れ、ケンシロウと激闘を繰り広げていく。(Wikipedia)
という漫画なんです。←やっぱり自分で説明しないのね・・・(^o^;)
どうでしょう?
① 時代や状況設定が似ている。
両方とも2000年になる前の作品ですから、その当時から見た近未来、世紀末に世界戦争があり現代文明は崩壊するという設定が共通しています。荒れた荒野で暴力だけが世の中を支配する退廃的な状況設定です。
悪人が力で食料や物を奪い、正義の人、優しい人が殺されていくという非道な弱肉強食の世界で、主人公がひとりで悪人たちをやっつけていくという痛快な勧善懲悪アクションです。
使われている武器は銃のほかに、いろいろありますが近未来なのに、ボウガンが頻繁に出てきます(笑)ま、怖そうですからねー。
デザオが中学時代に、クラスのヤンキーボスがケンシロウの真似をして騒いでいるとき、内心、「お前はどう考えてもケンシロウに殺される側やろ!」と思っていたものです(笑)
② バイオレンス表現の性質が似ている。
バイオレンスアクションにも程度がいろいろありますが、腕や胴体や首がバッサリ切られたり、太い槍に貫かれたりと、その残虐さがとてもよく似ています。北斗の拳がアニメ化するときに漫画で描かれている残酷なシーンをシルエットのみで表現したのは有名な話です。
また、女性や子供、お年寄りが容赦なく殺されるというのも共通しています。非道な時代を表現するためでしょう。真面目に生きようとする何の罪もない人々が残酷にも殺されて、主人公が大いに怒るという展開が同じです。その主人公の怒りに共感するからこそ、観客や読者が物語にのめりこみやすくなるわけですが。
ここまでにいくつかの画像でキャラクターを見せていますが、おわかりのように、どうしようもなくそっくりです(笑)これはパクっているんじゃないかというレベルではなく、まったく同じにしようとしているかのようです。
ソースは不明ですが、ネット情報では作画の原哲夫さんは、マッド・マックスとブルース・リーに影響を受けたと言っているそうです。ええ、それが本当なら公言しているわけですから、パクリ(盗作)とはいいにくくなります。
現に、マッド・マックスだけでなく、主要登場人物が当時の有名洋楽アーティストにそっくりな人が次々登場して、読者は「あ、今度はボーイ・ジョージだ!」とか「今度はデビッド・ボーイを使ったんだな!」とか、誰をモデルにしているか一発でわかることを楽しみにしていたくらいです。

(上)映画マッド・マックス2より / (中・下)北斗の拳より
主要キャラだけでなく、すぐ殺られる雑魚キャラも、だいたいマッド・マックスと似たファッションです(笑)ヘルメットにサングラスにマスクと、描く時間の節約にももってこいのルックスです。
これはパクリ(盗作)なのか?
ここで最初に戻ります。ぎりぎりセーフになるのはどういう模倣かを考えたときの下の2つです。
① 主要な構成要素のうち、ひとつかふたつまでしか同じにしない。
② 違う作品としての「存在理由・意義」がある。
まず①ですが、状況設定と勧善懲悪はあきらかに同じです。キャラやファッションも同じです。しかし、北斗の拳は一番肝心なところが違います。拳法の伝承者がほかの拳法家と戦っていくというカンフーものであるところです。
②もそれが存在理由であり、違う作品の意義があります。もしケンシロウがただの要領よく機転のきく奴で、銃をバンバン撃って悪いやつをやっつけるなら、マッド・マックスとまったく同じです。盗作と言われたでしょう。
拳法アクションものという大きな違う要素があるから、ほかの要素がまったく同じでも助かっているわけですね。しかも、圧倒的な画力と独自のストーリーに支えられたエンターテイメント性は一級品です。その完成度の高さが、批判をはねつける魅力になっているのでしょう。
特に映画や漫画では、ストーリーが同じかどうかが作品の類似において重視されるような気がします。その点でも、北斗の拳はマッド・マックスとは違う、次から次へと登場する適役の存在などが、違う印象の作品にしているのです。
ただ、そちらはブルース・リーの映画にそっくりです(笑)そう考えると、AとBをミックスして、上手く違う作品にした!ということなのでしょう。デザインでも、ミックスするとそれ以前のものと違うものになりやすいです。
でも、世の中には、あそこまで同じで訴えられないのか?と心配してネットで質問している人もいっぱいいるみたいです(笑)確かに危険で今なら訴訟問題になったのかもしれません。1983年。きっと、著作権や肖像権などコンテンツの使用が厳しくなる時代とその前の時代の境目くらいに生まれた作品だったのではないでしょうか。
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| 雑記 | 15:00 | comments:14 | trackbacks:0 | TOP↑
なるほど。かなりそっくりで楽しませてもらいました。
マッドマックスは昔から名前だけは知ってたんですが、映画は見たことなくて、今回、怒りのデス・ロードの情報を探してて、予告編を見て一瞬で分かりました。
確かにヒコウとか一子相伝とかの設定も深かったのでパクリにならなかったんですかね。そういう意味ではハンターハンターも念の設定があるおかげでドラゴンボールのパクリで終わらなかったのかもしれませんね。
| 流離人 | 2015/06/26 03:33 | URL |