「デザオ君、デザインしないで。」「え?」・・・新人が学ぶべき、削ぎ落とすデザインと、自分を消すデザイン。
私が初めてデザインの仕事を始めた1年目だったと思います。久保さん(仮名)という年上の女性のコピーライターが、私よりあとに同じ会社に転職してきました。尊敬できるADさんのもと、久保さんと私の3人でひとつのチームになりました。
久保さんは赤毛のアンのアン・シャーリーのような感受性豊かな方で、コピーライターですが、そんな専門なんて関係ないとデザインにもガンガン良し悪しのコメントを言ってくれる人でした。
新人でひとつひとつの仕事に試行錯誤の私に「デザオ君、わたしそのデザイン嫌い」「ここの色が嫌い」とか遠慮無く言ってくれます。ダメなときだけでなく、デザインがいいときも「デザオ君、このデザイン私好き」「このレイアウト、やるな~」とか言葉にしてくれました。
「嫌い」と言ってくれるときも、怒っているというより、子供のような素直な気持ちで、自分が思ったことを伝えたかったという感じです。久保さんに言われると「どこがですか、詳しく教えてください」と言い返す気になれません。「嫌いですか・・・」と、久保さんが嫌いって言うなら何か変えたほうがいいのかもしれないとこちらも素直に思ってしまう関係でした。
その久保さんが、ときどき言ってくれたのが、「デザインしないで」という言葉でした。
「デザインしないで」
具体的な意味はよくわかりませんでしたが、抽象的な意味で、きっと何か過剰なデザインをしているんだと感じました。関西弁で言う「要らんことして(余計なことして)」という状態です。
それは今、学校で学生さんを指導する立場では、海より深く共感できることなのですが当時はそれをもっとシンプルにしろということと思い、不要なデザインを削ぎ落とすことに気をつけました。
それで80%は正解でした。しかし残り20%は、デザオ個人の好みでデザインするなという意味もあるなとすぐ気づきました。
「削ぎ落としてシンプルにする」
まず、「デザインしないで」の基本的な意味としての「削ぎ落としてシンプルにする」についてちょっと考えてみましょう!
たとえば学生さんにハガキのデザインをさせたとしましょう。写真もイラストも基本的に、何もレイアウトすべき絵柄要素はなく、入れるべき必要な文字情報だけがあるようなタイプのハガキです。
すると、多くの学生さんのデザインに見られるパターンのひとつは、飾り罫で四辺を囲むというデザインです(^_^;) これこそまさに不要な「飾り」で、「要らんことすんな」の対象です。
教室で、そういうラフスケッチを描いているを学生さんには半笑いで「何の表彰状ですか?」とたずねます。すると「え?表彰状じゃあありません・・・(笑)」と返してきます。「その文章は、そんなにうやうやしく植物の飾りで囲むような荘厳な情報なんですか?」「うーん、そんな内容ではないですね・・・。」となります。
植物の飾り罫であろうと何であろうと、何かをする(デザイン的な処理をほどこす)と、そこに「意味」が生じます。「なぜ飾り罫を使ったのか?」「なぜその植物なのか?」が、ついてまわります。
「自分個人の好みでデザインするな」
「グラ雨」を始めた直後に、アーティストとデザイナーの違いについて何回か記事を書きましたが、それに関連するとても大切な問題です。
自分の好みのデザインが、その広告媒体の企画意図やデザインのコンセプトに沿っているならまだ良いでしょう。
しかし、コンセプトと関係なく、自分が好きだからという理由だけでやってしまうデザインは「過剰で個人的な自己主張」であり、時に、広告を見る人に、鬱陶しさや、ダサさ、時代遅れな印象さえ与えてしまう危険性があります。
まとめ
「デザオ君、デザインしないで。」という久保さんの言葉は、「何か変わったデザインするぞ」「面白いことしてやるぞ」という、一見当然にも思える発想の中にある、ある種の「押し付けがましさ」に気づかせてくれた言葉です。
ひとつひとつの広告を作るとき、できるだけ「要らん」飾りを足すことなくシンプルにして、自分の好みを消す努力をしたら、どうなるのか?まるで禅問答のような話ですが、グラフィックデザインの勉強をしている学生さんや新人デザイナーにこそ考えてみてほしいです。
デザオの私見ですが、それをすると、やっとデザインできる余地の広さと楽しさに気づけると思うからです。
いつもクリックありがとうございます!
↓FC2ブログランキング、にほんブログ村、人気ランキングに参加しました。
それぞれ1クリックしてくださるとデザオとっても嬉しいですオー!よろしくお願いします!


にほんブログ村

デザイン・アート ブログランキングへ
具体的な意味はよくわかりませんでしたが、抽象的な意味で、きっと何か過剰なデザインをしているんだと感じました。関西弁で言う「要らんことして(余計なことして)」という状態です。
それは今、学校で学生さんを指導する立場では、海より深く共感できることなのですが当時はそれをもっとシンプルにしろということと思い、不要なデザインを削ぎ落とすことに気をつけました。
それで80%は正解でした。しかし残り20%は、デザオ個人の好みでデザインするなという意味もあるなとすぐ気づきました。
「削ぎ落としてシンプルにする」
まず、「デザインしないで」の基本的な意味としての「削ぎ落としてシンプルにする」についてちょっと考えてみましょう!
たとえば学生さんにハガキのデザインをさせたとしましょう。写真もイラストも基本的に、何もレイアウトすべき絵柄要素はなく、入れるべき必要な文字情報だけがあるようなタイプのハガキです。
すると、多くの学生さんのデザインに見られるパターンのひとつは、飾り罫で四辺を囲むというデザインです(^_^;) これこそまさに不要な「飾り」で、「要らんことすんな」の対象です。
教室で、そういうラフスケッチを描いているを学生さんには半笑いで「何の表彰状ですか?」とたずねます。すると「え?表彰状じゃあありません・・・(笑)」と返してきます。「その文章は、そんなにうやうやしく植物の飾りで囲むような荘厳な情報なんですか?」「うーん、そんな内容ではないですね・・・。」となります。
植物の飾り罫であろうと何であろうと、何かをする(デザイン的な処理をほどこす)と、そこに「意味」が生じます。「なぜ飾り罫を使ったのか?」「なぜその植物なのか?」が、ついてまわります。
「自分個人の好みでデザインするな」
「グラ雨」を始めた直後に、アーティストとデザイナーの違いについて何回か記事を書きましたが、それに関連するとても大切な問題です。
自分の好みのデザインが、その広告媒体の企画意図やデザインのコンセプトに沿っているならまだ良いでしょう。
しかし、コンセプトと関係なく、自分が好きだからという理由だけでやってしまうデザインは「過剰で個人的な自己主張」であり、時に、広告を見る人に、鬱陶しさや、ダサさ、時代遅れな印象さえ与えてしまう危険性があります。
まとめ
「デザオ君、デザインしないで。」という久保さんの言葉は、「何か変わったデザインするぞ」「面白いことしてやるぞ」という、一見当然にも思える発想の中にある、ある種の「押し付けがましさ」に気づかせてくれた言葉です。
ひとつひとつの広告を作るとき、できるだけ「要らん」飾りを足すことなくシンプルにして、自分の好みを消す努力をしたら、どうなるのか?まるで禅問答のような話ですが、グラフィックデザインの勉強をしている学生さんや新人デザイナーにこそ考えてみてほしいです。
デザオの私見ですが、それをすると、やっとデザインできる余地の広さと楽しさに気づけると思うからです。
いつもクリックありがとうございます!
↓FC2ブログランキング、にほんブログ村、人気ランキングに参加しました。
それぞれ1クリックしてくださるとデザオとっても嬉しいですオー!よろしくお願いします!


にほんブログ村

デザイン・アート ブログランキングへ
スポンサーサイト
| デザインの基本(考え方編) | 15:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑