数学の問題や、フォトショップの操作の質問でしたら、決まった答えがあるでしょう。しかし、仮にレイアウトの相談に対してのアドバイスだとしましょう。そのアドバイスが講師によって多少違うなんて、ウルトラ有りえ~ることですよね。
問題は、「どうしたいか?」です。おおもとまでさかのぼれば、コンセプト(狙い)ではどうなってたの?ということです。「どんな印象で伝えるか」ということに、「エレガントな印象で伝えたい」と設定してあれば、エレガントにするなら、こうしたほうがいいよね!とか考えやすくなります。ここは太いゴシックじゃなくて明朝系にしたらどうかな?とか、K100%じゃなくて、K85%くらいのグレーにしたらどうかな?とか提案できるわけです。
しかし、コンセプトはもっとも基本的な狙いを規定しているので、レイアウトの細かいさじ加減まで判断できるようなコンセプトになっていないかもしれません。その場合でも、コンセプトで、「この◯◯という情報を強くアピールする」という狙いが設定されていれば、そこを引き立てるために、レイアウトはこうしたほうがきっといいね!とか言えるわけです。
もちろん、コンセプトに関係無くとも、レイアウトの常識というかセオリーに沿って考えるだけでも、多くの判断材料が得られます。このブログでもそういったセオリーをひとつでも多くピックアップしていけたらなーと思っていますが、そう言ったセオリーも客観的な視点から見て、「わかりやすく」と考えれば、自然と得られるはずのものなのです。
そこで気になるのは、デザバヤシ先生は、なぜデザオと違うアドバイスをしたのかということです。しかし、デザバヤシ先生がこう言ってましたという内容を学生から聞くと、「ははーん、なるほどね~!」となります。デザバヤシ先生のアドバイスにも必ず理由がありますから、すぐピンときます。「それはね、デザバヤシ先生は◯◯ということを狙って(重視して)そう言ってくれたんだよ」と解説できるわけです。
その結果、判断の主体が学生に返されます。君はもともとなんでこういうコンセプトにしたの?何をどう伝えるためのこのデザイン案にしたの?じゃあ、どうすればいちばんいいと思うの?そんな当たり前の質問を重ねるだけで、学生さんは雲が晴れるように明るい表情になり、自分で決められるようになるんですねー。
それも私が経験したこと。実は、私も高1のときに同じことを思いました。下の画像の課題です。黒いドットで動きを表現するという課題で、ひとつのドットに1色だけ他の色を使うという条件だったように記憶しています。年配のM先生がメインで授業をされ、アシスタント的に若いB先生がいらっしゃいました。
クロッキー帳にプランを下描きし、やりたいプランが決まったら、前と後ろにいるどちらかの先生のところへ列を作って並び、アドバイスとOKをもらって、着色作業へと進めます。しかし、これが問題です。
M先生に見せると「ぱらついているなー、もっとグッと固める部分をつくって画面に緩急をつけたほうがいいよ」と言われます。下描きをやりなおして、M先生に並んでいると、手の空いたB先生から「デザオー、あいてるからこっちおいで~」と呼ばれるのです。そして下描きを見せると「固まり過ぎてるなー、もっと散らせ散らせ~」と言われるのです(笑)
M先生とB先生があまりに逆の傾向のことを言うので、私だけでなくクラスメートも「どちら一方に並ばなくっちゃ、えらい目にあっちゃうよ!」と笑っていました。
今このときのことを考えると、コンセプトがないから迷っていたんだな、と思います。最初に、「落ちてきて跳ねるボールを表現したい」とか、「ビリヤードのブレイクショットを伝えたい」とか、何か根拠を持っていれば、漠然とドットを配置するのではなく、目的をもって配置できますし、先生を説得することすら出来たのかもしれませんね。
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