【1】問題解決=デザイン、ではない。デザイン=問題解決と主張できても、逆に、問題解決=デザインとは言えません。
「デザインは、問題解決です」と言うとき、よ~く考えてみると、それは辞書的な定義とは違いますよね?デザインという言葉の直訳的な説明ではなく、デザインの「はたらき」「役割」「目的」は、問題解決です、というのを略して説明しているわけです。
しかし「デザインは、問題解決です」というと、日本語の助詞「は」の曖昧さのせいか、「デザイン=(イコール)問題解決」とイメージされることになります。そうなると、学生さんたちからすると、「問題解決することは、デザインすることと言えるの?」と疑問が湧いても当然です。
たとえば、登校拒否をしている子供をカウンセラーが何とかしようと頑張る。これも問題解決です。海外からコンテナを介して日本に入ってきた毒アリを何とかしなくちゃと保健所が頑張る。配達した商品が破損していたというクレームが入ったからこれから顧客に謝る電話をかけようとする。これらも問題解決ですよね?でもこれらをデザインって言います?
そりゃね、これらの活動を、「カウンセラーも子供の社会復帰をデザインしているのだ」とか、「毒アリの被害をゼロにするよう対策をデザインしているのだ」とか、「失った顧客との信頼関係をリ・デザインするために誠実に対応する」とか、無理やり言おうと思えば言えますよ。でも一般的にはそれらの仕事や活動を、「デザインする」とは言わないわけです。
学生からすると、「じゃあ、デザイナーと弁護士の違いは?」「デザイナーと裁判官の違いは?」「デザイナーと警察官の違いは?」「ぜんぶ問題を解決する仕事でしょ??」「じゃあ、遠山の金さんもデザイナーだね?」って言いたくなっちゃいますよ(^_^;)
これは「あげあしとり」ではなく結構重要なことなんです。だって、マーケティング的に言えば、企業は、何らかのニーズに応えようとして、商品やサービスを企画したり提供したりしてるんでしょう?すると、世の中のほとんどの人は、問題解決のための仕事をがんばっているとも言えるのです。なら、「デザインは・・・」「デザイナーは・・・」と説明するためには、その専門性を説明するための言葉が明らかに足りない、具体性に欠ける、曖昧すぎると言えるわけです。
【2】クライアントの依頼を「企業がかかえている問題」と表現するのはオーバー企業が経営不振に陥っていてC.Iの大転換を検討しているとか、いい商品なのに売れなくて困っているからその販促上の解決策をデザイナーに求めたとか、そういう深刻なケースなら、確かにクライアントは問題を抱えていて、デザイナーは医者にもたとえられるでしょう。
しかし、ほとんどのグラフィックデザインは、企業活動のなかで当たり前に制作するツールを専門技術でサポートしていることのほうが多いのではないでしょうか?新商品が出るなら、代理店がプランニングしたメディアミックスの中で、そのロゴ、パッケージ、アプリケーション、アドなどを作る。当然のプロセスであり、ルーティンとも言えます。
たとえば、配送業者がクライアントに対して、よりカンタンに受渡しができて、安全に運べて、コストの安いサービスを提供しようと努力するように、デザイナーも、クライアントがマーケットから期待する反応を引き出せるように、顧客と消費者のコミュニケーションを、狙いどおりにサポートしようとするのです。
デザイナーが、そのように継続的で一般的な事業活動の一環に参加していることを、「クライアントの問題を解決する私たち」などと自称するのはオーバーで、デザイナーの自信過剰ではないでしょうか。そういう気概を持つことはいいことですが、「問題を解決する」と言うより、「当然やるべきことをやる」とも言えるわけです。
たとえば、プロダクトデザインなら、確かにグラフィックデザインより、「デザインで問題解決」というイメージが湧きやすいです。使用感などのユーザビリティがより具体的に改善できますからねー。でもそれさえも、ケースバイケースで、クライアントからの発注を「企業がかかえている問題をデザインで解決した」なんていう表現は、オーバーに感じます。
さらに、テキスタイルデザイン、フラワーデザイン、ファッションデザインなどの言葉を思い浮かべると、明らかに問題解決性より、美的感性のほうがウェイトが大きい分野ではないですか?マリメッコの花モチーフで問題解決!はオーバーでしょう?
【3】デザインの大事な要素(アート性)が欠けているまさにその美的感性のことです。「デザインは問題解決」という説明では、デザインの大事な要素、「アート性」が欠けている(あるいは軽視しすぎる)と思うのです。
「アート性(芸術性)」は、それを受け取る人にとっては、どこかからどーんとやってくる”感情のゆさぶり”みたいなものです。「かわいい~っ!」「カッコイイ!」「なんて美しいんだ!」と感動することもあれば、「うわー、グロイぃ!」「不謹慎な!」と、ときには気分を害することすらあります(笑)
またアート性は、今まで気づかなかった新たな視点や価値の提案でもあります。同じ機能をそなえていて、既存の問題を解決済みの商品Aがすでにあっても、その色、形、柄、質感などのアート性を加えた商品Bによって、ニーズが呼び起こされたり、世の中の反響を呼んだりする可能性があります。どうせこれくらいにしかならないだろうと想像されていたポスターが、デザイナーの付加したアート性によって、凄く良いポスターになる可能性もあります。
もちろん、デザインの仕事においては、アート性よりも、問題解決(←ここはあえて立てときますよ!)や機能が優先だろうと思います。下記の参照記事内にある、デザオ作「広告に必要な機能5段階説」でも説明したとおりです。
参照記事:アーティストとグラフィックデザイナーの違いとは?④しかし、デザイナーになりたいという若者の気持ち、欲求、憧れはどこから来ているかというと、「問題解決性」より、この「アート性」がとっても大きい理由だと思うんです。若者はおもに「表現」のステップに自分が関与することに欲求が高く、憧れているのです。
そして、学生から就職→新人デザイナー→中堅へと成長する過程で、デザインのプロセスをさかのぼり、「表現」が「アート性」だけを追求するものではなく、「コンセプト」や「プラン」からスタートしていることの重要性に気づいていくのです。
これを読んでいる読者の中には、デザインの「アート性」さえも「問題解決」に含まれているんじゃないか?「アート性という問題を解決」で説明できるじゃん、という人もいるかもしれません。
「我が社の広告には、人々が感動するような美しいビジュアルプレゼンテーションが今までなかった!この問題を解決しよう!もっとアート性が高い企業イメージを打ち立てよう」などという状況と言い回しのことです。その理屈も、わからなくもないですが、抽象的でまわりくどすぎて、こじつけに近いと思うんですよね。「芸術は爆発だ」みたいな抽象的インパクトがあるわけでもないですし(笑)
まとめ
【1】問題解決=デザイン、ではない。
【2】クライアントの依頼を「企業がかかえている問題」と表現するのはオーバー
【3】デザインの大事な要素(アート性)が欠けているこれらの3つの理由から、「デザイン(の目的)はね、問題解決するってことなんだよ。」っていう教え方は良くないと思うんです。繰り返しになりますが、決して間違っていると言っているんじゃなくて、不完全だし、学生を混乱させると言うことなんですよ。
そのような、デザインの「はたらき」「役割」「目的」を、問題解決だと説明しようとする試みは意味が無い・・・。だって世の中の多くの仕事も問題解決なんだもの、と思うわけです。それより、本来の「辞書的な意味」を説明する、「デザインはね、コンセプトを決めて、プランを練って、それを実際に表現することだよ」のほうが、学生の役に立つんです。すぐ応用できるんです。
たとえば、専門学校などで毎日やっているいろんな種類の勉強が、何のためにしているのか、よくわかりますよね!特定の課題において、取材したり市場調査しているときは「(1)コンセプト」を明確にするための作業をしているのです。効果的な宣伝媒体を考えたり、サムネイルを描いているときは「(2)設計・計画」の段階をしているのです。撮影の方法を学んだり、イラストレーターやフォトショップの操作方法に悩んでいるときは、「(3)表現」できるようになるための技法を学んでいるんです。
だからこそ、これらの授業がトータルで、「デザインの勉強をしてるんです」と言えるんですものね! ←ガッテンして頂けましたでしょうか?
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